自衛隊での生活って、想像つきますか?
高卒で航空自衛隊に入隊した私ですが、それまでは親にそれほど甘えていたつもりはありませんでしたが、自衛隊に入隊して、いかに自分が親に依存していたか思い知らされました。
大学生になってアパートで一人暮らしするのとはわけが違います。
徹底的な5Sの元、根本から鍛え直されます。
甘えは一切許されません。
今回はそんな自衛隊の基礎を学ぶ、教育隊についてお話していきます。
しかし、私が自衛隊に入隊したのは今から17年ほど前になりますので、当時と今では内容が違う可能性があることを予めご了承ください。
教育隊での生活について
航空自衛隊の教育隊は、山口県防府市にある、防府南基地に存在します。
防府市は、駅回りに少し大きなスーパーがありますが、基本的には田舎です。
高卒で入隊する私は3月中旬頃に防府南基地に到着しました。
3か月間、ここで自衛隊としての基礎をきずくことになります。
入隊するまではお客様扱い
防府南基地についてもすぐに自衛官になるわけではありません。
入隊式を迎えて晴れて自衛官となります。
日本全国から防府南基地に集まってくるので、私が防府南基地についてから入隊式まで2週間ほど期間がありました。
寮生活で、部屋は6人部屋、仕切りなどはありません。一人につきベッドとロッカーが1つずつあります。
起床は6時、就寝は22時です。自衛隊では節目にラッパが基地中に鳴り響いて時間を知らせます。
自衛官になって使う作業服や制服などのサイズ合わせをした以外は入隊式までは全く何もしていませんでした。
周りは当然知らない人ばかりなので、私は人見知りする事もあって周りの人に中々馴染めず、ホームシックになっていました。
しかし、私達の部屋の班長になると自称する上官と思われる方がたまに部屋の様子を見に来て一人一人声をかけてくれていたので少し和みました。
連絡事項があるときは全員宿舎前のグランドに集められます。その度に
「あなたたちはまだ入隊していませんので、お客様です」
と毎回のように言われました。
やたら強調するなーと思っていましたが…後で思い知らされることになります。
入隊式を迎え、その後…
全員新しく支給された制服に着替え、入隊式を迎えました。
入隊式には親御さんの見学も許可されており、自分の息子や娘のたくましさに涙する親御さんも見受けられました。
滞りなく入隊式もおわり、宿舎に戻りました。
班員は、自分の部屋の6名と向かいの部屋の6名の合わせて12名。
そこで担当となる班長も合わさって全員で改めて自己紹介をしました。
そして、次の朝…
豹変する上官たち
翌朝、けたたましいラッパの音で私は目が覚めました。
ふと時計をみると、まだ5時半…
え、何これ…
よく聞くとラッパの音もいつもと違う。
すると次の瞬間
「おらあああああああ、起きろー!!」
「いつまで寝とんのじゃコラァアアア!!」
「もたもたすんな!!さっさと着替えてグランド並べ!!」
と、あちこちから罵声が聞こえてきました。
もう何が起こったのかわからず、とにかく早く着替えてグランドに走りました。
中には泣きながら走ってる方やなぜか笑ってて怒られてる人までいました。
こんな感じで、強烈に恐怖と不安を植え付けれ、教育隊での生活は始まりました。
徹底的な5S
5Sとは、「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「躾」の事です。
教育隊では、ベッドメイキングの方法や、ロッカー内の物の置き方、下着の位置・畳み方、服のかける順番まで事細かに指定されています。
着る作業服や制服は常にアイロンかけされた状態でシワ1つみつかれば怒られます。
靴も靴墨を使ってピカピカになるまで磨かなければなりません。
掃除は就寝1時間前に行われ、ここでも手を抜くことは許されません。
食事もできるだけ早く食べろと言われます。有事の際は食事する時間も満足にとれないかもしれない、食べれる時に早く、たくさん食べろとのことです。
お風呂は毎日入れますが、隊員の人数に対して浴場がそこまで広くないので一人あたりの入浴時間は10分ほどしかありません。
髪型は男性はいわゆるスポーツ刈のみで、基地の中に散髪屋さんがあります。
消灯後は携帯電話の使用は許されません。私は消灯後に使っているのを上官に見つかって班員全員が1週間携帯電話没収になりました。
気をつけ、敬礼、休め、すべて最速で、全員揃っていないと何度もやり直しさせられます。
移動の際も2列で、掛け声に合わせて歩調を合わせないといけません。
このように、教育隊での生活は一切の妥協は許されません。
教育隊での訓練内容
自衛隊といえば厳しい訓練があるイメージですが、座学もあります。
自衛隊法をはじめとした、これから自衛官として生きていくための知識や、自衛官としての使命、職務の内容、歴史に至るまで、覚えることもたくさんありました。
訓練は熾烈を極めました。
基本教練、戦闘教練、体力訓練、罵声を浴びせられながら、すべて限界を超えるまで取り組みました。
妥協しようもんならペナルティとして更なる厳しい訓練が待ち受けています。
しかも教育隊の訓練では基本的に連帯責任です。
班員の一人が手を抜けばペナルティは班員全員に与えられます。
私は中学高校と運動部に所属していたため、体力にはそれなりに自信がありましたが、運動が苦手な人だとかなり厳しいと思います。実際訓練中に嘔吐してる方もいました。
教育隊での休日
自衛隊はシフト勤務以外は完全週休二日制です。
なので教育隊の隊員も土曜と日曜は休日となります。
休日は何をしているかというと、自主トレとして筋トレをしたり走ったりしてる人もいれば、体育館で球技をしたり、食堂横の売店で雑談をしたり、部屋でダラダラしたりとさまざまですが、外出している人は少なかった印象です。
ゴールデンウィーク以外は外泊も許可されていませんし、17時には帰ってこなくてはなりません。更に防府市は遊べるところも特にありません。
土日に何をしているかも上官はみていますので、上官の印象をよくしたければ自主トレをしたほうがいいのかなと個人的には思っていました。
女性自衛官もいる
男性に比べて5分の1ぐらいの人数ですが女性もいます。
髪型はスポーツ刈ではありませんがかなりのベリーショートでした。
訓練している場所が違うのであまり遭遇することはありませんが、食堂で食事するときにすれ違ったりはします。
その時に可愛い人をみつけると広い砂漠でオアシスをみつけたような気分になりました笑
私はお話することはありませんでしたが…
でもコミュニケーション力の高い方はいつのまに連絡を取ったのかわかりませんが休日に女性自衛官の方と談笑してる方もいましたね。
ちなみに航空自衛隊で務める女性自衛官のことは
WAF(Women of the Air Forces)
と呼ばれています。
一番辛かった訓練:行進露営訓練
行進露営訓練とは、片道20km往復40kmの距離を重さ4kgの装備と20kgの荷物を担ぎながら一定速度で行進します。
移動先で自分達でテントを張って野営します。食事は缶詰だったかと思います。いわゆる自衛隊版レーションのようなものです。
野営した翌朝はテント内に大きな音が鳴るとあるモノを投げ込まれ音に驚いて飛び起き、そのまま訓練が始まります。
山頂まで30分の山に登って戦闘訓練を行い、終われば山頂から大きな声を出して歩調を合わせながら装備を持ち上げて走って降りてくるという、まさに教育隊の訓練での集大成といえるような訓練でした。
移動先の訓練が一通り終わると、まだ20km歩いて帰らないといけないにもかかわらず、隊員みんなの顔はやりとげたという達成感で満ち溢れていました。
上官たちもそれを察してからか、滅多に笑わない上官までが笑顔でホースの冷水を訓練終わりの隊員達にぶちまけていました。
卒業式を迎え、全国へ散る
卒業式。
入隊式とは体つきも表情も同一人物かと疑うぐらい変わった成長した隊員達の姿がありました。
教育隊終了後は、術科学校がある部隊へ配属されます。
希望する職種によって行先が変わってきますので、苦楽を共にした班員や、厳しくたまには優しく接してくれた上官ともお別れになります。
最後に部隊から離れる際、めちゃくちゃしんどくて、辛くて、何度も辞めたいと思っていたのに、上官の顔をみた瞬間、涙が溢れてきました。
辛いことから解放されて嬉しいの涙じゃないです。
苦楽を共にした仲間達や上官と離れるのが寂しかったんですね。
たった3か月でしたけど、この3か月はそれまで私の人生の中で一番濃くて、充実した3か月でした。
最後に上官が
「辛くなったら、いつでも電話してこい」
と言ってくれました。
私は黙って頷きました。
しかし私が上官に電話をすることはありませんでした。
なぜなら…上官の電話番号知らなかったからです汗
最後に
今回は、教育隊での生活についてお話させていただきました。
なんとなくですが、厳しさが伝わったかと思います。
今はちょっと説教されようならパワハラだと騒ぐ人もいますよね。
でも私が自衛隊にいたころはパワハラなんて言葉もなかったので、暴言はもちろん、体罰も普通にありました。今はどうなってるかはわかりませんが。
ある人はゲンコツでヘルメットが割れてましたし…。
これを見て自衛隊入りたいって人、いるのでしょうか?笑